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東京地方裁判所 平成11年(ワ)22796号 判決

原告

在川進

右訴訟代理人弁護士

原口健

久保田理子

土井智雄

設楽公晴

被告

協同乳業株式会社

右代表者代表取締役

佐藤哲男

右訴訟代理人弁護士

大下慶郎

納谷廣美

西修一郎

石橋達成

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金三二三万七〇〇〇円及びこれに対する平成一一年一〇月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告を退職した原告が、雇用保険上の失業給付を得られなかったことにつき、被告にはその失業給付相当額の補填をすべき義務があり、仮にそうでなくとも、右失業給付相当額を賠償すべき義務があるとして、被告に対しその支払を求める事案である。

一  前提となる事実

1  当事者等

被告は、牛乳の生産、処理並びに乳製品の製造及び販売その他を業とする株式会社である。

原告(昭和一六年一月一二日生まれ)は、昭和三八年四月に被告に入社し、平成一一年五月三一日に被告を退職した。この間、原告は、被告の東関東支社営業部長を務めた後、被告の関連子会社である三友食品株式会社(以下「三友食品」という。)へ出向し、平成八年三月にいったん同社顧問に就任した後、同年六月から平成一一年五月一〇日まで同社代表取締役社長を務めた。その後、被告に復帰して営業本部営業企画部内新規事業担当部長に就任し、右のとおり同年五月三一日をもって被告を退職したものである(以下「本件退職」という。)。

本件退職は、被告における選択定年制度に基づくものであったが、同制度は、従業員の意思により退職時期を定め、年齢に応じて退職金を加算するというものである。

(争いのない事実、〈証拠略〉、弁論の全趣旨)

2  失業給付の不受給

右のとおり、原告は三友食品の代表者として出向しており、その間雇用保険に加入できなかったため、雇用保険の失業給付を受けるための被保険者期間の要件(賃金支払の基礎となった日数が一四日以上の月が六か月以上あり、かつ雇用保険に加入していた期間が満六か月以上あること。以下「失業給付受給資格」という。)を具備せず、本件退職後失業給付を受給することができなかった(ママ)

(争いのない事実)

二  争点

被告には、従業員が関連会社の代表者等として出向するなどして退職後の失業給付受給資格を喪失した場合、被告が当該従業員に対してその得べかりし失業給付相当額を補填する労使慣行が存在していたか。

これが存在していたとして、その労使慣行は原告に適用があるか。

また、被告には、失業給付相当額の損害を賠償すべき義務があるか。

三  当事者の主張

1  原告の主張

(一) 被告には、失業給付受給資格を具備できない者に対して、得べかりし失業給付相当額を補填する旨の慣例が存在し、かつ、これを内容とする内規が成文化されていた。これは法的拘束力を有する労使慣行であるということができるから、被告は原告に対し得べかりし失業給付相当額を補填する義務を負うというべきである。

(二) 仮にそうでなくとも、次のとおり、被告には、原告との雇用契約に付随する信義則上の注意義務として、右得べかりし失業給付相当額を賠償すべき義務を免れない。

(1) 被告には右のとおりの慣行及び内規が存在しており、原告はその存在を前提とし、自らも当然に補填を受け得るものと信頼して本件退職を決意したのである。被告の人事部長は、本件退職直前の平成一一年四月五日に、原告に対し、本件内規の適用を検討する旨回答し、原告の右信頼を強める言動をした。また、被告が原告に対して失業給付相当額の補填を行うことはできないとの回答をしたのは、本件退職のわずか一〇日前の同年五月二〇日になってからであった。

被告は、使用者として、従業員である原告が不測の損害を被らないよう配慮すべき信義則上の注意義務を負担しているところ、原告が退職後受給し得ない失業給付について被告から補填がされるとの認識に基づいて退職を申し出ていることを知りながら、的確な情報を提供せず、再検討の機会も与えず、退職直前に至って補填を拒むことは、明らかに右注意義務に違反するというべきである。

(2) 仮に内規等が存在しないとしても、被告には失業給付受給資格喪失によって生じた損害を賠償すべき雇用契約上の注意義務違反に基づく支払責任が発生するというべきである。

すなわち、原告は被告の業務命令に従って三友食品へ役員として出向したのであって、右命令に従ったがために失業給付受給資格を喪失した。出向を経ない従業員が選択定年制度の適用を受けて退職した場合には、加算退職金に加え失業給付を受けられることになるから、関連会社への出向を経て本社に復帰した従業員が選択定年制度によって退職した場合には失業給付が受けられない結果となるのは不合理である。従業員の労務提供によって利益を得る営利組織である被告には、このような事態の発生を防止すべき義務があり、原告の失業給付受給資格が失われることを知り、又は知り得べきであったのに、あえてこれを放置し、原告に財産上の損害をもたらしたというべきである。

(三) 被告は、内規は廃止されたから、原告には同内規の適用がない旨主張するが、内規の廃止が労働者に対する不利益変更に当たることはいうまでもなく、法的拘束力を有する労使慣行を被告の一存で一方的に変更することはできない。右廃止は当然に無効であり、原告に対抗できない。

被告は、同内規は選択定年制度により退職した原告には適用がない旨主張する。しかし、同内規は、関連会社に役員として出向した者が失業給付受給資格を失い、退職後給付を得られないのは公平でないとの基本思想の下、従業員の不利益補填として定められたものである。そうすると、退職事由が普通定年制度によるものか選択定年制度によるものかなどということは、補填の要否の判断に当たっては何ら関係がないはずである。また、内規が定年退職者のみを対象とするものであるとすれば、それは単なる制度の欠陥、不備にすぎず、選択定年の場合を殊更除外する趣旨では当然ないはずである。仮に被告の右主張のとおりであるとすると、原告は、損失補填を受けたければ定年まで待たなければならないということになるが、被告が従業員の選択定年制の選択の自由(あるいは退社の自由、職業選択の自由)を奪う権利などないことは自明である。

(四) 請求金額の算出根拠

原告が離職前六か月間に受給していた賃金(基本給)合計額は四一四万三九九〇円であり、これを一八〇で割ると二万三〇二二円となる。したがって、原告が受給できる失業給付一日当たりの金額(基本手当日額)は上限一万〇七九〇円であり、これに三〇〇日を乗ずると、三二三万七〇〇〇円となる。

2  被告の主張

(一) 確かに、被告には、従業員が関連会社に出向するなどして定年退職後の失業給付受給資格を喪失した場合、失業給付を補填する旨の内規が存在した。しかし、同内規は、平成六年四月一一日に制定され、平成一〇年八月一〇日に廃止されたから、平成一一年五月三一日に退職した原告には適用がない。

(二) 仮に右内規の廃止の有効性に問題があるとしても、そもそも右内規の廃止前においても原告に対しては適用はない。

すなわち、右内規の内容は、「在籍会社の従業員定年年齢に達した時点での退任については失業給付見合い額として給付相当額の一〇〇パーセント、一年を越えて退任の場合は五〇パーセント、二年を越えて退任の場合は支給しない。」というものであり、ここでいう定年年齢は満六〇歳を意味することになる。一方、原告が退職した際の選択定年制度は、従業員の意思により退職時期を定め、年齢に応じて退職金の加算が受けられる制度である。すなわち、選択定年制度は、本人の意思によらない六〇歳定年退職制度とは全く別のものであるから、原告には右内規の適用はないのである。

(三) 以上のとおりであるから、被告には、原告の主張(一)にいう内規あるいは労使慣行は存在せず、また、原告の主張(二)にいう信義則上の注意義務違反もない。

第三当裁判所の判断

一  証拠(〈証拠略〉)によれば、従業員が関連会社に出向するなどして定年退職後の失業給付受給資格を喪失した場合、失業給付相当額を補填する旨の内規が被告に存在することが認められる(この内規を以下「本件内規」という。)。

右の場合以外に、被告に、退職後の元従業員に失業給付相当額を補填する旨の内規あるいは慣例があることを認めるに足りる証拠はない。

証拠(〈証拠略〉)によれば、被告は、昭和六三年に希望退職により退職した従業員に対し、失業給付相当額の補填をしたことが認められるが、この一事例によって右慣例の存在が基礎付けられるとは認められない。

二  ところで、被告の就業規則(〈証拠略〉)には、退職の場合として、定年退職のほか、死亡、休職期間満了、依願退職等の場合が挙げられている(六七条)。そうすると、本件内規があえて定年退職の場合における失業給付相当額の補填を規定していることは、定年退職の場合のみに限定して右のとおり補填する旨定めたことを示すものと解するのが相当である。定年退職の場合、他の退職の場合と異なり、従業員側の都合に基づかないものであるから、この場合のみ一定の給付補填を行うというのも、企業の労務管理上の定めとして一応合理性が認められるというべきである。

右の判断を覆すに足りる証拠はない。

三  本件退職が選択定年制度に基づくものであることは前提となる事実1記載のとおりであるが、選択定年制度といっても、これに基づく退職は依願退職の一種又はこれに類するものであり、同制度によれば退職金の加算という優遇措置があるというにすぎない(〈証拠略〉)。したがって、選択定年制度に基づく退職は、「定年」との用語を用いているとはいえ、定年退職とは性質を異にするというべきである。

四  以上のとおりであって、本件退職について本件内規の適用があるものとは認められない。

原告は、本件内規の定めが、定年退職の場合のみに限定して失業給付相当額を補填する旨定めたものであると解すると、被告の従業員は損失補填を受けたければ定年まで待たなければならず不当である旨主張するが、他の退職事由を除外して定年退職の場合のみに失業給付相当額の補填を与えるという定めも一応の合理性が認められることは前記のとおりであるから、原告の右主張は採用できない。

五(一)  以上によれば、本件内規が本件退職前に廃止されていたとの被告の主張の当否を判断するまでもなく、原告が被告に対して失業給付相当額の補填を受けるべき法的権利を有する旨の原告の主張は理由がない。

(二)  次に、失業給付相当額の損害の賠償請求に係る原告の主張について検討する。

(1) 原告の右請求に係る主張としては、第一に、原告が、本件内規の適用を受けられることを信頼して被告から退職したにもかかわらず、失業給付相当額の補填が得られなかった、したがって、被告に損害賠償義務があるとするものである。

しかし、前記のとおり本件内規は定年退職の場合にのみ適用があるから、原告が、本件内規が選択定年制度による依願退職の場合にも適用があることを信頼して退職したとしても、そのことによって被告が損害賠償責任を負うということはできない。

ただし、原告が右のような信頼をするに当たって、被告側が、選択定年制度に基づく退職の場合にも本件内規の適用がある旨の言動等をするなどの特段の事情があった場合には、被告に、本件内規を適用して原告に対して失業給付相当額を補填すべき義務が生ずる余地もあるものと解される。この点、原告は、被告の人事部長は、本件退職前の平成一一年四月五日に、原告に対し、本件内規の適用を検討する旨回答したこと、被告が原告に対して失業給付相当額の補填を行うことはできないとの回答をしたのは、本件退職直前の同年五月二〇日になってからであったこと、以上の事実を主張する。しかし、原告の主張に係る右事実を前提としても、被告側が、本件退職について本件内規の適用があることを示したものとはいい難く、かえって、被告側の右言動等は、原告に有利な形で本件内規を適用することができないかを慎重に検討する趣旨にあったと理解することも可能である。よって、右事実が前記特段の事情に当たるとすることはできない。その他、前記特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

(2) 原告の右請求に係る主張としては、第二に、仮に内規等が存在しないとしても、出向を経ない従業員が選択定年制度の適用を受けて退職した場合には、加算退職金に加え失業給付を受けられることになるのに、関連会社への出向を経て本社に復帰した従業員が選択定年制度によって退職した場合には失業給付が受けられない結果となり、不合理である、したがって、被告には失業給付受給資格喪失によって生じた損害を賠償すべき雇用契約上の注意義務違反に基づく支払責任が発生するとするものである。

しかし、前記のとおり、他の退職事由を除外して定年退職の場合のみに失業給付相当額の補填を与えるという定めも一応の合理性が認められるから、原告の右主張に係る結果が生ずることが不合理であるとまではいえない。

(3) 以上のとおりであるから、被告に失業給付相当額の損害を賠償すべき義務がある旨の原告の主張は理由がない。

六  以上の次第であって、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉崎佳弥)

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